アクアとメルトの構図
『推しの子』の第十七話の「成長」のメルトの見せ場ですが、
原作に比べて動き+客の反応による説得力が素晴らしく、実に
理想的な映像化だったなぁと感心した次第ですが、そこで
メルトに関する解釈が深まった結果、思った事があります。
「メルトって吾郎が転生しなかった場合のアクア」だったんじゃないか、と。もうちょい細かい条件としては、
「アイが死なず復讐に生きる決意をしなかった」場合の方がより妥当な流れですが。
そもそも公式に
「2.5次元舞台編」でメルトは裏主人公と位置付けられているので、ならば『推しの子』という作品全体の
主人公であるアクアと共通点が多いと思って解釈してみると、上記のような事を思い至った次第です。
アクアが頭良いのは吾郎が入っているからであり、アイは頭は良くないし、ルビーもアホの子なので、そうなると本来はアクアも頭良くなかった可能性は十分有り得ると思います。それでも父親の方が良ければという事もありますが、姫川大輝もフリルからアホ呼ばわりされてるって事は、
カミキヒカルも頭良くない可能性は理屈の上では筋が通ってると言えるので、故に普通に生まれてた場合のアクアは
「顔が良いだけのアホ」だった可能性は十分あるというか、
要素的にはそうなっても不自然では無いと思います。
キャラ的にカミキヒカルが頭悪いのは違和感ありますし、アイと姫川愛梨がアレなだけでカミキは頭良い可能性も十分ありますが、
知能と遺伝を関連付けて考えるとカミキも本来のアクアもアレな可能性の筋は通ると言えるんじゃないでしょうか。カミキは、あの時点では
「成長途中で頭脳も未熟だった」「マトモに勉強して知能を高める人生を歩めていなかった」と言えば、多少納得できるかしら?
昨今の価値観に照らし合わせた炎上対策的な事を言っておくと、
両親の頭の良し悪しで子供の知能レベルが必ず決まるとは限らないですし、勉強が出来る出来ないと「人間的な頭の良し悪し」は別物だと思いますが、
それを気にし出すとキリがないのでココではそういう事にしといて下さい。
というワケで、そんなアホなアクアが「顔が良いだけでモテてチヤホヤされて調子乗って、スカウトされて
(or母親のコネ系で)適当に芸能活動やっちゃう」という
メルトルートを辿ったとしても不思議はないと思います。
そして、実際にそのルートを辿ったメルトに
挫折と成長のきっかけを与える役割を担ったのが他ならぬアクアという構図なのは、
ちょっとエモい気がします。
加えて『15年の嘘』で
メルトは吾郎役を演じ、かつ「グッズを見えない箇所に入れておく」という
役に対して深い理解をする事が出来たというのも、ただの偶然と言うよりは、構図や要素から考えると必然性があるように思えます。
またルビーに対しても、舞台練習中の兄を探しに来た際に裏プロット的ライバルである鴨志田がちょっかいを出そうとしたのを防いだり、吾郎役について
「せんせ役に対する理解が深い」と懐かれたりと、
アクア的要素があるからこその関係性が出来てるのかな、と。
もしかしたら、現世ではアクアと遺伝的に結ばれてはいけない
ルビーと対になるのは、アクア的要素を持ったメルトになる結末があるかも、なんて思ったりもしてますが、まぁそれは深読みし過ぎだと思うので、さて、どうなることやら。
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