Love&Pain







若い頃のアニメを見る情熱を失いかけていた私(二十歳)が、久ぶりに「一週間そのアニメを観るのを楽しみに生きていられる」と思うほどにハマった『Kiddy Grade』、というかエクレールエクレールエクレールエクレールぅぅぅっっ!!!(←落ち着きなさい)その『キディ』も終わり、我が愛しのエクレールの出番も無くなってしまいました。




おジャ魔女が終わってからの私の命を繋ぎとめていたこの作品が終わってしまった今『ぼんやりとした不安』が全身を包む毎日ではありますが(大変危険です)、この作品から得たことをもう一度よく思い出し文章というカタチに残すことで、私にとっての『Kiddy Grade』という作品の意味を明確にし、それを生きていく糧にしようと思い、テキストを書くことにしました(とてもクサいです)。




それに、こういうことすればエクレールが喜んで誉めてくれそうだし(本音)。




で、こっからはこの作品について思ったことを色々と語ります。テーマも何も無くて、ただごちゃごちゃと語るだけです。おジャ魔女みたいに論文書くような感じにはしません。各キャラや詳しい設定をご存知ない方は公式HPで確認して下さい。ま、見なくても読めるモノにしようとは思いますが。





で、まず最初に言っておきたいんですが、基本的にこの作品話そのものはあんま面白くありません。第一に話の構成がありきたりなモノばかりで新鮮味がほとんど無いです。クライマックスでの盛り上がりはかなりのモノでしたが、作品全体を通して話の作りが稚拙というか演出が下手というか、ぶっちゃけイマイチ。



それが一番解りやすいのが、第一話。悪い軍人さんが悪い商人と組んで悪いことやってるからやっつけてきなさいとの指令。敵の戦艦のブリッジに乗り込んで行っておちゃらけた格好ではしゃぎ、その後圧倒的な強さで敵を翻弄。敵は敵で、頭の悪そうな艦長は最終コーナーに入っても中々集団から抜け出せない馬のオーナーが「ぐぬぬぬぬ…」と唸ってるみたいな感じだし(どんな喩えだ)、もう一人の黒幕の悪商人は「GOTTだ…もうおしまいだ…!」と頭を抱えるといった未来の話なのに旧世紀に逆戻りしたかのようなステレオタイプっぷりで、「ネタですか?」と問い掛けたくなるほどベッタベタな展開。


その上敵の兵士も、レーザー銃らしき銃を抜いたはいいけど撃たない。相手が敵とわかってたら効く効かないに関わらず抜いた瞬間撃てよ。で、レーザー銃みたいなのがリュミエールの能力で無力化されたら今度は実弾銃みたいなのを抜くけどまた撃たない。お前ら銃の扱い方についてどんな訓練受けたんだコラ。いくらブリッジ要員だって銃の扱いくらい訓練されてるでしょうが。「構え!」って指示はないし、どう考えても撃つべき状況で誰一人撃たないとは何事か。



そんな第一話を観た時点で予想はついたんですが、その後も私の汚れた期待を裏切らずどこかで見たことあるような展開ばかりを披露してくれました。いちいち挙げていたらキリがないですが、御都合主義全開でツッコミどころ満載でした。クライマックスに至っては、「話的にも視聴者ももっと盛り上げられる展開があるだろうがーっ!」と2時間布団の中で脳内補完に勤しんだくらいでした。



ただしこの作品、キャラはとても良いです。主人公のエクレール&リュミエールは言うに及ばず、他のそれぞれのキャラの性格や設定もそれぞれ立っていて、キャラデザの門之園恵美のたいへん可愛らしい絵とあいまって非常に魅力のある登場人物ばかりです。



するとあら不思議、稚拙な話が急に楽しめるようになるんです。というかですね、使い古されたありきたりな話の流れや各キャラの使い方ってのは、それが有効だから使い古されてなお残るモノなんです(『王道』と呼ぶには話が稚拙過ぎますが)。つまり、変に奇をてらって妙な展開になるより安心して各キャラの活躍が楽しめるワケです。一話の銃にしても、敵を颯爽と倒し「棘は、綺麗な花しか持っちゃいけないのよ」とカッコ良く決めるエクレールの為の演出と考えればよいのです。そうすれば、現実的なツッコミなんぞ銀河の彼方にぶっ飛ばして派手に暴れるエクレールの御姿でお腹いっぱいになれます(←恍惚)。



つまり『話はダメだけどキャラが良い』『話が稚拙というマイナスをキャラが活躍する楽しみが上回っている』→『キャラ萌えアニメ』というワケでして、私にとってこの作品はキャラ萌えアニメです。ダメってのは言い過ぎですが、話の中で動くキャラは楽しめても、話そのものに楽しめるということはあまり無かったです。設定やキャラといった素材は魅力的だったのですが、その素材を上手く生かせなかった『惜しい作品』なのです。そしてこの評価は、最後の最後まで動くことがありませんでした。



当然私がこの作品を一週間の糧としたのも、SFが面白いだの話が凄いだのなんてことじゃなくエクレールにハマったからなのですが、それにしてもハマりました。放送終わった後必ずエクレールの場面(重要!)を観直してました。3回は。2話連続なんて時は大変でした。でもやりました。授業があってもやりました。



ところが途中でエクレールの姿が変わっちゃったんです。昔から何度も姿を変えてきたのは解っていたんですが、まさか第一話の絵を丸々脳内で再生できるほどにハマっていたエクレールの御姿が放送中に変わってしまうとは思いませんでした。中身は変わらずエクレールでも、エクレールはあの姿と中身あいまってのエクレールであって、新型エクレールはおよそ受け入れられるモノではありませんでした。



しかも、最後には元に戻るだろうと思っていたら最後まで戻りやがらねぇ(血文字)のでした。オイ後藤圭二(呼び捨て)、いくらナデシコのキャラデザだからってこんなナメた展開させる監督は許さねえぞ!国分寺駅に出没したの見たことないぞ!(関係ない)



結局、この点が私の中でのこの作品の評価を落とすことになりました。予想以上に得るモノはあったけど、結論的には所詮キャラ萌えアニメから脱していないワケですから、そこが守られていれば得るモノがなくてももっと好きになれたのにぃ。




で、「予想以上に得るモノはあった」と言った通り、↑ではさんざ話はダメだ何だ言ってますがけっこう深く味わえる要素もありました。それは、『Kiddy Grade』というタイトルは実に味があるということでした。



ラスボスのアールヴは、手足としていいように使われ屈辱を味わわされ続けた特権階級ノーヴルズに対する復讐に執着していました。『復讐』というのは理解できない感情ではありませんが、言い方を変えれば『仕返し』という実に子供じみたモノだと思います。さらに最後には「お母さん…!」と泣いていました。幼き日の母への想いを支えに生き、愛する母を救うことに命をかけたシュバリエもまた、「母親の為」という子供の心が行動の理由でした。



ラストで物語を大きく動かした彼らの行動は、しかしながら、実に子供のような理由でした。アールヴにしろシュバリエにしろ、それをすることがいかに大変なこと(難易度という意味ではなく)か当然解る年齢なのにもかかわらず、自らの子供じみたその心に従って動いたのでした。


kiddy=子供、ちびっこ    grade=段階、階級、等級


観終わって、「人はいくつになろうとも、その底にあるの子供の頃のままの心なんじゃないか」なんて考えたりしました。そう思うと、実に味わいのあるタイトルだと思いませんか?



そして、何度も生き返りそのたびに、敵うわけがないのにまるで「不可能」ということがあることを理解しない子供のようノーヴルズに反抗し続け、一方でシュバリエを始め何人もの子供に母親として愛を与えていたエクレールは、まさにこの作品の主人公に相応しいと思いました。改めて観直してみるとシュバリエの他にも、捕まっていた子供をあやすのに子守唄を歌ったり、ティムやアウレーの子等の男の子を惹き付けていたりと、『母親』を思わせる描写が多いんです。



ネットではたまに「エロい体で純な男の子を惑わすショタキラーみたいな身も蓋も無い言い方されてて、確かにそうかもしれませんけど(否定せんのかい)、彼女の『母親』としての部分が子供を惹き付けたと考えても変ではないと思います。そしてまたそう考えると、相方のリュミエールやお守り役的アームブラストもずいぶん見方が変わってきます。



かつて路地裏で体を縮めて脅えていたところをエクレールに拾われたリュミエール。同じくエクレール(+リュミエール&エクリプス)に命を救われたアームブラスト。その後どのような経緯があったかは描かれていませんが、何度もエクレールの身を案じるリュミエールや、アームブラストの「私はエクレールさんたちを愛しているんです」という言葉から察するに、エクレールという『母親』に愛してもらった『子供』であることは想像に難くないでしょう。アームブラストにとってはリュミエールも母親的存在でかもしれませんが、リュミエールが『母親』として描かれていることは無いので、アームブラストにとっての母親と言われればまず最初にエクレールであると言えます。



そしてまた、エクレールは『子供』でもあります。リュミエールやアームブラストが彼女を案じる心は、愛する『子供』を心配する『親』としてのそれに感じられます。



つまり、『親』として『子供』のエクレールを見守り『子供』として『母親』のエクレールの身を案じる、二重の愛を持っているキャラクラーというワケなんです。そういう点を踏まえて2人がどんな気持ちでエクレールを見ていたか最初から観直してみると、今までとは違った感想を抱けるハズです。



もう一度言いますが、『永遠の子供』であり、『永遠の母親』であるエクレールこそ、『Kiddy Grade』という名を冠するこの作品の主人公に相応しいキャラクターです。






てなワケで内容に関するグダグタは終了。あー疲れました。でもその分愛が詰まってますから☆書いた内容はともかく、自分としてはこれだけ書けて満足です。



しかしながら、こんなに語るワリにシリーズのDVDは買っていなかったりします。だってキャラ萌えアニメをDVD買ってまで残す気にはなれませんよ。私にとってシリーズのDVD買うってことは、その作品を、自分だけでなく自分の周りの人間、ゆくゆくは子供の為に残すということだと思っています。この作品買うなら他にもっと買うべき作品があります(『花田少年史』とか)。



最後に。タイトルの『Love&Pain』とは、主題歌『未来の記憶』の歌詞の一節です。初めて聴いた時から味のある言葉だと思っていましたが、最後まで観て色々考えた上で味わうといっそう深い言葉に感じられました。




あと、『キモいヲタによる捻くれた』&『キモいヲタが真面目に語ってるイタさという意味もあります。自分でいうのもアレですが、けっこう上手いタイトルだと思いませんか?(自分で言ってて悲しくないですか?)それにしてもなんてひどいオチだ。




では、最後にこの言葉を御贈りすることにします(関口さん風)。









エクレール


万歳!








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