第1回
ウルトラマン好きによる
「『シン・ゴジラ』が当たったから
『シン・ウルトラマン』を作ったら
どうなるか?」
大喜利



・『シン・ウルトラマン』、私にとってこの作品は、楽しみだとか観たいとかの次元ではなく、庵野同様に『ウルトラマン』がヲタ人生のコア中のコアにあり、更に思春期に『エヴァ』に触れてしまった身としては、「観ない」のは己が歩んできた人生を否定するレベルの話なのです。


・というワケで、せっかくだから俺はこのIMAXを選ぶぜ」ってことで、IMAXで映像も音も全身全霊で受け止めて来ました。


・最初に言っておいた方が良い事としては、『シン・ゴジラ』と比較されるのが前提の作品として言うと単純なエンタメとしては『シン・ゴジラ』の方が点数が高いと思います。


・「ニッポン対ゴジラ」で開き直って割り切り、初代のエッセンスを現代っぽい政治風刺にアレンジするのとラストのヤシオリ作戦に全て(主に在来線)を集中させてブッ込む大人の悪ふざけに振り切れた構成と比較すると、こっちは扱うべき要素が多い分全体がボヤけてしまった感は否めないと思います。


・比べて『ウルトラマン』は原典39話、加えて『ウルトラQ』の分も含み、以後のシリーズの歴史も無視は出来ないとなると、『ウルトラマン』に真面目に向き合えば避けるワケには行かない手順が増えてしまうのは必然で、結果2時間映画1本にまとめると『シン・ゴジラ』より若干ゴチャついて纏まりなく見えてしまうのは根本的に避けようが無い話。お約束が一見さんにはちょっと壁になってしまうジレンマなのは、歌舞伎等の伝統芸能と同じ永遠の仮題なんですよね。


・そんなこんなで結局のところ、恐らく評価も興行成績も『シン・ゴジラ』以下になってしまうと思いますが、ウルトラマン好きとしては半分は残念だけど、半分は仕方ないっていうか「試合に負けて勝負に勝った」的な印象



・で、フラットな評価は置いておいて一人の『ウルトラマン』好きとして言わせてもらうなら、『シン・ゴジラ』より考えるの楽しかったろうなぁと思う次第。


・演者のコメントで「壮大な因数分解」「一度じゃ理解し切れない」みたいなのがあった通り、何層にもなって複雑な要素が絡んだ物語ではあるのですが、それらを全部紐解いてバラしていくと最後に出てくる核は「ウルトラマン大喜利」だったんじゃないかなぁと。


・冒頭から「ゾーフィ」「1兆度」に致るまで、とにかくあれこれ屁理屈捏ね繰り回してウルトラマン要素を詰め込めるだけ詰め込む大喜利超楽しいに決まってます。


・数々のカットから効果音に致るまでとにかく、『ウルトラマン』を知っていれば知ってる程ニヤニヤ出来る要素満載。ザラブ星人戦の右手を痛がる仕草とか「それを外すなんてとんでもない」要素をやるのは勿論楽しいし、パゴスとネロンガとガボラ(≒グビラ)の身体が似ているのは元々着ぐるみが使いまわしだったのを後付けで設定作るとか、思いついた時に「これは1本取った!」とガッツポーズしそう。



・ちょっと話が逸れますが、そもそも特撮の本質って、ミニチュアをリアルに作るとか怪獣の造形を精巧に見せるとかはあくまで手段であって、「虚構を本当に見せる」のが、言ってしまえば「人を騙して嘘を信じさせる」のが特撮の主目的だと思います。もっと言えば、特撮に限らず全てのフィクションの大前提ですね。


特撮の神様である円谷英二が特撮映像技術の向上に心血を注いだのは、当時はそれが円谷英二にとって一番得意で効果的な「虚構を本当に見せる」手段だったからなワケで(実際公職追放喰らったし)、もし彼が現代に生きていたら金に糸目を付けないでスパコン買い集めて超絶クオリティのCGを作る事に心血を注いだかもしれません。払えるアテも無いのに当時で4千万のオプチカル・プリンター即決で買うような頭のネジ飛んだ人だし(そしてそれは円谷プロ全体の黒歴史に繋がる…)


・それは笑いや芸人にも通じるところがあると思いまして、『IPPONグランプリ』に代表されるような大喜利って、やってる事は悪ふざけではあるんだけど、人を笑わせる面白い回答を生み出す為に芸人達が必死で大真面目に「悪ふざけに取り組んでいる」事を「低俗だ」「不真面目だ」と言う人は少数でしょう。


・だから、特撮に心血を注ぐというのは「人を騙して嘘を信じさせる」という悪ふざけに大真面目に一生懸命になる事であり、そう考えれば『シン・ウルトラマン』は真面目に一生懸命に「ウルトラマン大喜利」をやった結果なのだなぁと何度も反芻した上で思い至った次第で、最終的に私が『シン・ウルトラマン』という映画を評するならば冒頭の言葉になるのかな、と。翻って言えば『シン・ゴジラ』もそういう作品だったように思えますし、そういう意味ではあっちの方が色んな意味でお題の自由度は高かった。



・それからお話としての評価については、人それぞれ感想が分かれそうな気がするものの、物語を構成する様々な問題解釈が難しい色んなテーマもちゃんと『ウルトラマン』並びに「ウルトラシリーズ」と向き合えば自ずと集まって来る要素なワケで、真剣にリスペクトすればああいう物語としての形になるのは十分納得行く話だったと思います。ただまぁ、皆が私と同じ知識と熱意があるワケではないので、そこの読みが難しいところ。



『ウルトラマン』が大好きで、大人になっても幾つになっても大好きで、自分の人生を構成する要素として欠かす事の出来ない作品としてリスペクトしている人達の、『ウルトラマン』への愛と誇りを懸けた真剣で大真面目な「ウルトラマン大喜利」の結実が『シン・ウルトラマン』という映画というのが、私の最終的な感想でした。



・他に軽く言っておきたい事だと、メフィラス星人の胡散臭さは実に素晴らしかったです。「暴力は嫌い」「平和が好き」と言いながら原資はパワーという、『ウルトラシリーズ』が根本的に内包してしまっている矛盾を直観的に伝えてくれる山本耕史の演技には拍手を。元ネタとはちょっと方向性が違うけど、これはこれで良し。2代目の自販機トラップ野郎、よく見とけ。


・ネロンガの電気にガボラのウランは、もっと社会的問題を絡めて来ると思ったらそうでもなかったのでちょっと拍子抜けですが、それは『シン・ゴジラ』で散々やって二番煎じになるから省いて良かったのかも。制作がコロナ後だったら、ザラブ星人は未知の伝染病のマッチポンプを仕掛けたんじゃないかなぁと思いました。


長澤まさみへのセクハラの数々は、東宝の指示なのでしょうか。一般向けにはああいうサービスぅも大事なのかもしんないけど、ウルトラファン的には正直不要で、キスシーン消したというのは個人的には大正解。子供連れたお父さんはどうリアクションしてよいのでしょうか。


・最後にオチを付けるなら、あれこれ情報を集めている中で、科特隊のムラマツキャップは36歳で今の私より年下という事実にブチ当たってしまったのが一番ショックでした。


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おまけ


・正直言って私もトロコン100%は出来てないと思いますが、それでいい。原作リスペクトと作品としての本筋の調整は凄く大変だったと思いますが、間違いなく庵野は私と同じでそういう苦しみを喜びに感じるドM78星雲人なので大丈夫。


・老害の愚痴ですが、昭和特撮で育った人間としてはぶっちゃけCGは「物体としての質量と存在感が感じられない」からあまり好きになれないんですが、だからと言って「特撮=ミニチュアや合成映像」が正統とは言えず本質的にはそのどれもが手段に過ぎない事は理解しているつもりではあるものの、感覚的には受け入れ辛いのは私個人が構成される過程の問題なんで勘弁してつかぁさい。