特撮とは愛すべき嘘である





・格闘家の前田日明は本放送時の『ウルトラマン』に熱中しており、最終話でウルトラマンがゼットンに倒されたのに衝撃を受け「強くなってウルトラマンの仇を取ろう」と思ったのが、格闘技を始めたきっかけと言っています。ウルトラファンとしては尊敬に値する話です。



・そんな前田少年が、ゴモラが大阪城を壊した翌日に本当に大阪城が壊れてるか確かめに行ったところ大阪城は健在だったので、近くに居た掃除しているおっちゃんに尋ねたところ「おっちゃんが徹夜で直した」と粋な嘘をついてくれたとのこと。私の好きな話です。



特撮の本質って、ミニチュアをリアルに作るとか怪獣の造形を精巧に見せるとかはあくまで手段、庵野も言ってるように「現実に虚構を混じり込ませる」手法であり、その目的は「嘘を本当と思わせる」事だと思います。空想を本物として感じられるように見せるのが特撮、すなわち「空想特撮」。当時の前田少年は見事に嘘に騙されたワケですな。



・何故『ウルトラマン』が現在まで評価され続ける名作であるかと言えば、物語が素晴らしいというのは勿論ですが、特撮作品は話が面白いのは前提としても話の部分を書き出しただけでは名作には成り得ず、やはり「特撮が魅力的」である点は大きいと思います。



・例えば、ゴモラが戦車隊の攻撃を蹴散らし、背丈ほどもある大阪城を「物体として」破壊していく様「映像としての迫力と説得力」を抜きにしてゴモラの魅力を語るのは難しいですし、異形の姿に成り果てたジャミラが水を浴びて苦しみながら平和会議の国旗を泥まみれにしてなぎ倒すシーンに、「言葉では表現出来ない力」「特撮だから描ける説得力」があるのは間違いないでしょう。



・つまり、私を含む多くの特撮ファンにとって特撮とは「愛すべき嘘」「本当と思いたい、騙されたいと思う嘘」で、それでいいと思うのです。



・そんな「ウルトラシリーズ」は勿論、「ゴジラシリーズ」や「ライダーシリーズ」や「戦隊シリーズ」といった大嘘に騙され、人生における掛け替えの無い宝物を貰った人は今も昔も沢山居て、中には騙される側から騙す側になったりいずれそうなる人も居て、そんな真剣に「愛すべき嘘」を作り上げようとする人達によって特撮の歴史は現在まで紡がれ続け、そして今後も続いて行って欲しいと願っているのですが、その歴史の流れの中の一つの大きな到達点が今回の『シン・ウルトラマン』なのかなぁと思った次第でした。



・一応断っておくと、特撮全てが無条件で「愛すべき嘘」と言うのはちょっと難しく、例えば初代『ゴジラ』で銀座の和光ビルが壊されるのを見た和光社長が「縁起でもない!」と東宝関係者を数年出入り禁止にするくらい怒っちゃったのは、今となっては特撮の力の証明であり笑い話ですが、当時は「愛すべき嘘」と言うのは憚られるところもあったかもしれません。ただ、かつての前田少年同様、映画鑑賞後に本当に和光ビルが壊れていないか確かめる人が居たというのは、やっぱり「愛すべき嘘」の力ですな。



・そもそも特撮の神様である円谷英二からして、『ハワイ・マレー沖海戦』の特撮が後にGHQに本物の記録映像を使っていると思われるくらい色々と嘘を頑張っちゃったら、敗戦後に「戦時高揚映画に携わった」と公職追放喰らっちゃうので、今では伝説ですが当時としては笑うに笑えない話。



・あと、私が思うに、円谷英二が特撮映像技術の向上に心血を注いだのは、当時はそれが円谷英二にとって一番得意で効果的で、そして情熱を注ぐに値する「虚構を本当に見せる」手段だったからなワケで、もし彼が現代に生きていたら金に糸目を付けないでスパコン買い集めて超絶クオリティのCGを作る事に心血を注いだような気がします。払えるアテも無いのに当時で4千万のオプチカル・プリンター即決で買うような頭のネジ飛んだ人だし(そしてそれは円谷プロ全体の黒歴史に繋がる…)



・現実問題として、CGやVFX等の技術が進歩した結果、相対的に『ウルトラマン』放送当時より「特撮」というジャンルの持つ力が衰退してしまっているのは紛れもない現実だと思います。なので、『シン・ゴジラ』『シン・ウルトラマン』、そしてこの後に控える『シン・仮面ライダー』で、庵野秀明には「特撮」の衰退の歯止め、更には再興を目指して頑張ってもらいたいところです。

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注:そもそも論を言えば、特撮に限らず全てのフィクションは虚構なのですが、それを言い出すとキリが無いのでここでは特撮にフォーカスして語ってます。あしからず。