<裏>少コミガイド
2004Ver
さて、それでは現在の腐った「少コミ」を代表する作家とその代表作について、悪意満載でガイドしたいと思います。
私が「少女漫画界のA級戦犯」だと考えている、「少コミ」のエロ化の礎を築いたある意味で歴史に名を残す少女漫画家です。代表作は、大ヒットしアニメ化もされた有名作『快感・フレーズ』ですが、ストーリーはとても常人には考えられない凄いモノです。
ストーリーですが、エロい歌詞で人気のグループのリーダー咲也が、17歳なのにフェラーリに乗って走っていたところ愛音という女の子を轢きかけ、その娘がエロい歌詞を書く才能があるとわかると歌詞を書かせるために突然拉致監禁し、結果的に二人は恋に落ちるという、どう考えてもギャグとしか思えない冒頭から始まり、その後も読者の予想を斜め上に裏切る展開が続きます。
しかし、どういう神の気まぐれか、こんな作品が大ヒット。そして、これに味を占めた少コミ編集部は、「よりエロく!」「より過激に!」という間違った編集方針を打ち出し、結果「少コミ」は現在の過激エロ路線に走ることになります。新條センセイは他にも「レイプされた男を好きになる」という頭が痛くなるような話を描き、現在の「少コミ」の基本路線を作ったとされています。つまり、コイツが諸悪の根源です。
短編だと、例えば、学校で評判のイケメン様に「俺が好きなら2駅先の川原まで来い」と言われて行ってみたら、「来たということは俺に何をされてもいいと認めたんだな」と言い出し青姦レイプ。例えば、彼に突然学校で目隠しされ、「トイレだから」と騙されてクラスメイトの前で愛撫されて喘ぎ、最後は彼への愛を絶叫。
現在は、「少コミ」で最新作『ラブセレブ』を絶好調連載中。相変わらず「代々総理大臣を輩出してきた名家」だの「TVで公開処女喪失で視聴率30%」だの、アクセル全開で突っ走ってます。
このような笑うことしかできない衝撃の作品を数々と発表し、TVに出演しては「乳首を描いたから売れた」等の迷言を残し、「新條路線に続け」と編集部からエロを描かされている後進の作家を全く寄せ付けない、オリジナルとしての圧倒的な存在感を醸し出しているのが新條まゆ大先生です。
なお、私のオススメは『覇王・愛人』。新條センセイが、出来るワケないのに、真面目なハードヴォイルドラブをテーマに描いた作品です。新條センセイが「真面目」だの「ハードヴォイルド」だのを意識して作品を描くとどれだけ凄いことになるのかがよくわかる一品です。ちなみに私、何故か全巻初版で持ってます。
刑部真芯
金持ちのお坊ちゃんが孤児院から幼女を引き取り、数年して「どうして私のことを引き取ってくれたの?」と尋ねたら「こうするためだよ」と強姦。しかも女の子の方は女の子の方で「愛してくれるなら人形でもいい」というマゾっぷりを見せ、最終的にはハッピーエンド。そんな、まんま『源氏物語』じゃないですかという『禁断』シリーズで名を馳せる刑部センセイ。名前は「おさかべましん」と読みますが、振り仮名振らないとまず読めません。
刑部センセイは新條センセイの過激エロ路線を受け継いだ第一人者とされていますが、それもそのはず、彼女は新條センセイの弟子です。「この師匠にしてこの弟子あり」という見本です。師匠の過激エロ路線を受け継ぎ、師匠とはまた違った斜め上を飛び回る刑部センセイです。
北川みゆき
「あかほりさとるの嫁」という肩書きで何となく器が知れる北川センセイは、昔は「ぷりんせすARMY」「東京ジュリエット」等のそれなりの作品を描いてたのですが、『罪に濡れたふたり』を描きだしたあたりから何だかおかしな方向に進んでしまわれました。それがあかほりのせいかどうかはわかりませんが、「罪に濡れたふたり」がアレな作品なのは紛れも無い事実です。
『罪ふた』は「近親相姦モノ」なのですが、ヒロインの香純は弟とヤることしか考えていないし、弟の由貴(よしき)は由貴で香純に「うんざりするほど愛しているよ」という迷台詞を吐く始末で、「近親相姦」という重いタブーはどこへやら。展開があんまりにもループなので読者の方がうんざり状態で、2ちゃん少女漫画板で「うんざり」と言えば北川作品を意味します。
特に香純は、留守録の由貴の声に欲情して、風呂場でオナニー開始。最後は「ヨシキィィィ」と叫んで果てるという離れ業をやってのけ、エロヒロインとしての名を欲しいままにしている剛の者。「「カス」という名前の略がここまで似合うキャラも珍しい」と斜め方向に評判です。風呂場でのカスの叫びにちなみ、由貴は「キィィ」と呼びましょう。半角がデフォです。
なお、2ちゃんの少女漫画板では、新條まゆ、刑部真芯、北川みゆきの3名は、そのどうしようもないエロさから、それぞれの名前の頭文字にちなんで「3M(すりーえむ)」と呼ばれてまいす。覚えても全く意味のない知識ですね。
ちなみに、刑部センセイと北川センセイは「少コミ」ではなく「Cheese!」という雑誌に描いています。この「Cheese!」は、「少コミ」よりはちょっと上の年齢層向け、その分「少コミ」より過激エロ分が多めです。しかもこの「Cheese!」は、『快感・フレーズ』を担当した編集者によって作られた雑誌と言われています。ここまで聞いた時点で「関わらない方が幸せだ」と思ったら正解。
内容は、「チーズって、女の子のアソコから溢れてくる熱くてドロドロしたヤツのことか?」という死にたくなるようなセクハラオヤジ発言が大当たりという恐ろしさ。こんな雑誌が売り上げ好調だってんだから、世の中間違ってますよね。
水波風南
「少コミ」で新條まゆが作った過激エロ路線に乗った作家の代表格が水波風南(みなみかなん)センセイです。代表作の『レンアイ至上主義』は、「至上なのは「レンアイ」じゃなくて「レイプ」か「セックス」だろ」ツッコミが極めて的確に当てはまる作品です。内容やエロの過激さなんかは典型的な新條劣化コピーなのですが、エロシーンにおける「ピチャクチュ」といういくら何でもヤバい効果音は衝撃的でした。「汁ミ」と書いて「ミナミ」と読め。
作品の内容ですが、ヒロインの世莉は幼馴染の碧樹と付き合っているですが、鷹来という学校の権力者に何度も何度も襲われ、世莉は世莉で何度襲われても危機感を持たずに自分をレイプした相手にほいほいと近づいてまた襲われるという始末。世莉さんは「学習」という言葉をご存知ないのでしょうか?
で、世莉が傷ついた後は碧樹がHで慰めて、結果2人の愛は深まるという展開がこの作品のお約束。「困難を越えて愛が深まる」という展開に読者はカンドーするらしいのですが、その前に何かがオカシイことに気がつかないんでしょうか。
それから、水波センセイは「セカンドレイプ発言」が有名です。何度も鷹来に襲われる世莉に対し、「鷹来がどれだけ危険な人間かは明白なのに、大した警戒もせずに近づいては何度も襲われているようでは世莉にも問題がある」というファンレターを貰ったところ、汁ミセンセイは単行本の柱で「(世莉に対する)セカンドレイプだと思いました」「女性が女性の味方をしないで誰が女性を救うんですか」といった趣旨の発言をしました。この発言を読んで「何がセカンドレイプだ」とキレた人が何人もいるのですが、至極真っ当なお怒りだと思います。
その他にも斜めから読むと色んな意味で楽しめる要素が満載で、さらには「レンアイ至上主義超面白いですー!!(>。<)」とかのたまってる頭の悪そうな外野を観察するのもまた一興。普通に読んだらただのゴミですが、読んだことない方は「世界は広いなぁ…」と実感することができますよー。
典型的な新條まゆ過激エロ路線に乗った作品を描く、というかそれしか描けないしがのセンセ。下の「夷織」というお名前は「いおり」と読み、作品のあまりの屑っぷりから、「しがい(死骸)」と呼ばれたりしてます。代表作の『ガ・マ・ンできない』『そんな声だしちゃイヤ!』は、タイトルから既に腐臭がします。
『ガ・マ・ンできない』は、「H」→「ひと波乱」→「仲直りにH」という展開が延々とループする、実に典型的でわかりやすい「少コミ」漫画でした。読者の「こんな漫画読まされるこっちが『ガ・マ・ンできない』よ!」という叫びが的確この上無いと思います。
んで、その次の連載作の『そんな声だしちゃイヤ!』は、「声優ネタ」という文字を見ただけで悪寒が走りました。「ヒロインが初アフレコでHな声を出せずにいると、競演の天才若手声優がいきなり身体を触ってきて、それでHな声が出せてOK」という、「演技はOKでも法律的にNGだろ」なスタート。さらにそこから、天才若手声優さんが「これから毎晩俺が演技の特訓をしてやる」とお約束通りの発言。普通ならまず110番すると思いますが、そんな疑問は持たないのが「少コミ」でのたしなみ。
そして、2004年11月現在で連載中のしがのセンセイの最新作は、例に漏れず、タイトルから既に腐臭を漂わせるオーバースキル(by『キングゲイナー』)が遺憾なく発揮されています。
『かぽ――ん(>_<)!』
何だかもう、ここまで来たらある意味天才としか思えない凄まじいタイトルです。この脱力感は、ただ事じゃない!なお、肝心の内容の方は、私がタイトル紹介で既に消耗してしまったので、自分で確認して下さい。
終わりに
如何でしたか?「少コミ」がどのような雑誌なのか、皆様には伝わったでしょうか?「少コミ」は、濁った目で読めば、それはもう大変面白い雑誌であることがお分かりになっていただけたかと思います。邪な気持ちで楽しむにはうってつけの雑誌ですね。ただし、買ってしまった後で「金返せ!」と憤慨されても私は責任持ちませんので。
一応断っておきますが、小学館系少女漫画が全て上記のような作品という恐ろしいことはありません。主にアレなのは「少女コミック」と「Cheese!」で、それにしたって連載陣全部が全部上記のような作品というワケでもありません。「ちょっとHでドキドキ」な普通の少女漫画だって載っています。ですが、「少コミ」において、上記のような感じの作品が雑誌の主流として看板作品を名乗り、コミックス売上ランキングでも上位に食い込んでいるというのも間違いない事実です。それが、「少コミ」という雑誌なのです。ついでに言えば、「少コミ」の作家は過激エロ作品を編集部に無理に描かされていると思います(でなけりゃ雑誌全体があんなヒドい状態になるワケがない)。だから、作家がどうと言うよりは、編集部が問題なのです。
売上が大切なのもわかりますが、小学校高学年〜中学生の第二次性徴を迎える年齢の女子をターゲットにした文化事業ならば、自らの発信するモノがそこにどんな影響を与えるのか、その意味や意義を最優先で省みなくてはいけないと思います。文化事業には、社会に対する自らの影響力に責任を持つ義務があると思います。その点で、現在の「少女コミック」編集部には文化人としてのプライドが無いです。
売上が良くなければ雑誌も会社も存続できないのですから、売上がいかに大切かは明白です。しかし、文化事業に携わる以上、売上よりも何よりも大切しなくてはいけない理想や信念といったモノがあると思います。『衣食足りて礼節を知る』とは言いますが、でも、たとえどんなに売れても、その中に魂がなかったら、ソレはいつか萎んで廃れてしまうことでしょう。願わくば一刻も早く、「少女コミック」編集部が、売上よりも優先しなくてはいけない、文化人としてのプライドに気づくことを。
2008年6月9日追記
雷句誠の原稿紛失事件に関する新條先生の6月8日のブログを読みまして、この人はA級戦犯と呼べるほどの悪党ではないと思うようになりました。小学館を出たあたりからうすうす感じてはいたのですが、やっぱりこの人がどうこうというより、「売れればいい」「適当な作家にエロ話描かせればOK」という編集部の体質が問題だと思います。「別マ」で描いていた『ミッドナイト☆チルドレン』なんかは、自分の作風と雑誌の雰囲気の調和をかなり意識して描いていたのがわかる作品で、その姿勢を見て「何も考えずに描いてるワケじゃないのは間違いない」と思えました(その作品が面白かったかどうかは別ですが)。
そんなワケで、今後はA級戦犯として積極的に非難する立場を取るのは辞めようと思います。今後は、エロが無くてもぶっ飛んだ漫画を描く才能ならそこらの作家には遅れは取らない新條まゆ先生を生暖かく見守っていくことにします。
ただまぁ、売れまくってる頃に「乳首を描いたから売れた」だの調子に乗った発言をカマしていたのもまた事実。国の命令で人を殺したとは言え、あれ程の被害をもたらした兵士が無罪放免ってのは心情的に納得しかねるような気持ちです。「少コミでアタマの悪いエロマンガを描いていた」という十字架は一生背負って生きていって下さい。少なくとも私は忘れません。